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勢いと決断力で、最高に面白い仕事を沖縄に創る【Leader's ミライリアル 真嘉比さんの場合】

お疲れ様です!Super Stories編集部の大崎です。

Supershipグループでは、Group Purpose「ミライリアルの幸せを、デジタルの力で創る」の浸透に向けた取り組みを進めています。その一環で現在、グループの全従業員を対象としたワークショップ "CAMP” を順次実施しています。 "CAMP” ではメンバー一人ひとりの「ミライリアル」を言語化していますが、この連載「Leader’s ミライリアル ◯◯の場合」では、グループのマネジメント陣が掲げる「私のミライリアル」とその背景にある「価値観、好きなこと、得意なこと」をお届けします。

今回は、ちゅらデータ 代表取締役社長 真嘉比 愛の「Leader’s ミライリアル」です。

Supershipグループを牽引するマネジメント陣が考える、各社・各事業の“未来予想図”である「私のミライリアル」にぜひ触れてもらい、日々の業務(=旅路)を進めるヒントとしてご覧ください。

【 カルチャー浸透施策のひとつ、「カルチャーブック」については以下の記事で制作意図などを語っています。ぜひこちらも合わせてお読みください 】

真嘉比さんの「私のミライリアル」

「私のミライリアル」
最高に面白い仕事を沖縄に創りたい

―真嘉比さんの「私のミライリアル」にはどのような思いが込められていますか。

「これはちゅらデータのコーポレートサイトにも記していますが、私が社長に就いている間は絶対、最高に面白い仕事を沖縄で作りたいと思っています。私たち=ちゅらデータが面白いのは当然とした上で、IT業界全体がすごく面白い状態になってほしいです。沖縄の自分たちの後輩、小学生までもがIT業界・ITエンジニアを目指して、『沖縄には面白い会社がいっぱいあって迷っちゃうよね』と言われるような状況を作りたいです。
多くの企業が切磋琢磨をして、給与面などにおいても採用競争が激化し、人材戦略が難しいと感じるまでになってほしいですね。

私にとって『面白い仕事』が指すものは広く、ちゅらデータが手掛けているAIビジネスや、その先にあるさまざまな先端的な仕事も面白いと感じます。また、ITエンジニアが至る所でイベントを主催したり参加したりして、そこに中学生などもたくさん来て、業界の人たちと『将来有望な子たちがいっぱいいるね〜』とお酒を飲みながら話したりするなど、そういったことがトータルとして最高に面白い仕事が実現することに繋がると思っています。
この思いはちゅらデータを創業してからずっとブレずに持っていますし、ブレることがあったとしてもここからワールドワイドな存在になっていくぐらいのことです」

価値観・好きなこと・得意なことについて

―続いて、その背景にあるご自身の価値観や好きなこと、得意なことについてお聞きします。ご自身の価値観は「達成」「協調」「挑戦」の3つを挙げられていますね。

「『挑戦』はもう当たり前にやることというか、息をするように挑戦しようと思っています。その上で、挑戦するからには『達成』すべきで、難しい課題やできないことがあったとしても“事を成す”ことを大事にしています。

加えて、誰と一緒にやるかも大切です。『協調』というよりも『戦友』のほうが私が言いたいことのニュアンスとして近いかもしれませんが、誰とやるか、どういったチームで達成するか、を重視しています」

―好きなことの「色んな人と語りあうこと」「1番をとること」「新しいことを知ること」についてはいかがでしょうか。

「私は、仕事が大変であることをネガティブに考えるタイプではありません。ただ、一緒に働く人がつまらなそうな顔をしていたら、途端にモチベーションがとても下がってしまいます。ちゅらデータで働く仲間が、会社に入ってこんなことができるようになったとか、こんな生活を実現して人生が変わったという話をしてくれると、これまでやってきて良かったと、とてもモチベーションが上がります。

一緒にお酒を飲みながら『こんな会社を作れたら最高だよね』と会社の未来の話をしたり、今後業界がこう変わっていくから、会社はこう変わっていけると良い、などと戦略を話したりするのも好きなので、好きなこととして『語りあうこと』を挙げました。

加えて、頂点を狙うのであれば2番や3番ではなくしっかりと1番を獲りたいと思っています。『沖縄で一番良い会社になる』という目標もそういった意味がありますし、一番目立つことによって一番注目され、一番注目されることによって一番世の中に影響を与えられるような会社になるという意味で、目標の達成に繋げるならば一番を獲ることが間違いないかと思います。

新しいことを知ること』は前述の2つとは違って、個人的な趣味のようなものです。日々新しいことを知ることがとても好きで、論文などを読んだりするのも、新しい技術を知ることも好きです。それが仕事にも結びついているので、とても助かっています」

―得意なことは「情熱を伝えること」「人と向き合うこと」「決断して進めること」を挙げていただきました。

「前述のような『私はこういう会社を作りたい』という話を社員に伝えて、ちゅらデータをワンチームとしてまとめることが得意だと思っています。『こういった価値観が格好良いよね』『ウチの会社が今後2、3年でこんな感じになってるとすごくイケてると思う』といったように情熱を伝えて、だから皆で一緒にこの道を進もう、としっかり気持ちを込めて呼びかけることが得意ですね。

向き合うこと』についてですが、会社のメンバー個々人が何を成していきたいかは私自身も興味関心が高いところで、それについて話していく中で会社自体もどんどんアップデートされています。皆にとって最適であり、かつ会社としても競争力が高まる制度を作ったりしています。その一環として今は社員全員と1on1を2〜3週間に1回のペースで行っています。

決断して進めること』は、ここだ!という時に決断することは、昔から他の人より早いタイプだったので挙げました。タイミングが良ければ、多少の懸念があったとしても力づくで進めるくらいの気持ちで、決断して進めることは得意なほうだと思います。どちらかと言うと得意なことと言うよりは、私の性格の話かもしれませんが、他の人にはそこが良いとよく言っていただきます」

価値観が育まれた人生のターニングポイントは

―続いて、真嘉比さんの価値観や好きなこと・得意なことが育まれるきっかけとなったエピソードを伺いたいと思います。ご自身の人生の“幸福度の増減”を折れ線グラフにした「ライフチャート」に沿ってお話を聞いていきます。

沖縄の高等専門学校に入学され、「工学を学んで毎日が楽しい」と書かれていますが、そもそも工学に興味を持たれたのはなぜでしょうか?

「父親が工学系の出身で、家には私が小学生のころからパソコンが置いてあり、パソコンを解体して中身のマザーボードを入れ替えたりしているのを間近で見て、面白いと感じていました。当時はドラマ『ブラッディ・マンデイ』(※編注:天才ハッカーの高校生がハッキングの能力を駆使してテロ集団に立ち向かうサスペンス作品)が流行っていたこともあり、ハッキングや、部品をカチャカチャいじったりするのがなんとなく格好良いなと思っていました。

その時からずっとものづくりやエンジニアリングが楽しいと感じています。私にとってエンジニアリングの魅力は『万能感』で、極めていけばいくほど全て自分で作っていける感覚があります。欲しいものを全部自分で作れるのが楽しいですし、課題を解くのも好きで、単純に格好良いなと感じます」

―その後「沖縄の就職事情を知って絶望」とグラフが大幅に下がっていますね。

「高専の同級生たちは皆優秀だったのですが、彼らの能力と沖縄の就労状況のギャップに絶望してしまいました。沖縄では、親など皆『とりあえず工学出てるんだったら何も考えずに地元の電力会社に入っておけ』と言います。電力以外は大変だぞ、と。中でもIT業界は特に厳しくて、賃金も低く、テレビや報道でよく見るようなブラック企業さながらの世界で、『頭の良い奴はIT業界にだけは行くな』とも言われていました。

反面、海の向こうではGoogleなどの企業が急成長を遂げ、これからはITだという盛り上がりが見えてきているのがちょうど2004年ごろ、私が18、19歳の頃で、そのギャップにも絶望していました。私自身はITに限らず専門性の高い領域が好きだったものの、そこを学べば学ぶほど将来的に何の旨味もない状況で、夢も無い。小学生や若い世代の人には将来の夢はITエンジニアだと言ってほしいと考えていましたし、沖縄のことも好きなのに、こんな状況で悔しいな…と感じていたのが当時の思いでした」

―そして大学院を卒業され就職に伴い上京、新卒2年目の時にDATUM STUDIO(以下、DATUM)に入社されました。「得意なこと」でご自身の決断力について触れられていましたが、この時の転職もすぐに決断されたとのことですね。

「DATUMに入るのを決めたのは勢いでしかないですね。当時、DATUMに大学時代の同期が勤めていて、飲んでるときに『転職考えてるんだよね』と話をしたら『ウチにおいでよ、今から社長に連絡するから』と言われ、その翌日には飲み会がセッティングされ、その場で当時の社長が『よっしゃ内定、よろしくね!』と勢いで決めて、次の月曜日に当時勤めていた会社に退職届を出しました。勢いしか無いですね、ここに理由を求めちゃいけない(笑)。

当時のDATUMは、私も知っているような有名なデータサイエンティストが沢山居て、そういった意味で技術力が高いことは知っていましたが、一番の決め手は“ノリ”と“直感”でした。私は派手なことや、“派手が好き”な人たちが好きで、突き抜けなきゃダメ、目立たなきゃダメで、無理だと言われているものを無理なままにせずにハックしにいくというDATUMの考え方も好きでした。DATUMの人たちは皆仕事が好きで野心もあって、そのノリとテンションの高さを感じましたね」

―DATUM入社後、1年ほどでちゅらデータを創設されましたが、これもかなり急な決断のように感じます。

「これもまた飲み会の席がきっかけでした。沖縄のIT業界の状況を改善したいという思いもあり、いつか沖縄で絶対に起業したいと考えてはいつつ、当時の社長には伝えたことがなかったのですが、私をDATUMに誘った人が飲み会の場で突然社長にそのことを話しまして。そうすると社長も酔っ払っていたのか『いいじゃん!いつ作るの?ウチの子会社として作りなよ』と言ってくれました。翌日、会社で『社長、言いましたからね、絶対作りますよ!』と言ったら正式にOKしてくれて、その週には設立を決め、その1、2ヶ月後から社員探しを始めました」

―学ぶことやものづくり、エンジニアリングが好きであるにもかかわらず、いきなり会社の経営者になるというのは、躊躇してしまいそうな気もします。

「それも勢いと決断力で、チャンスじゃん!と思ったらやっちゃう性格なんですよね。ちゅらデータ立ち上げの時は、『今はすごく良いタイミングだ』ということを感じていました。私はその時27歳ぐらいだったのですが、“27歳の女性が沖縄でデータ分析の会社を立ち上げる”というだけでまず世間では目立ちますよね。どのように人を集めるか考えた時に、経験をたくさん積んだ上で満を持して会社を立ち上げるのは普通で皆やっていることですし、そこまで目立つ話でも無いと思うのですが、私があのタイミングで立ち上げたことによって沖縄県内でとても目立ちました。新聞で連載する仕事も頂きましたし、採用にはかなり効きましたね。

合わせて、当時はまだAI技術を扱う会社がそれほど多くなかったこともあり、創業間もないDATUMが大手と並んで引く手あまたになっているような状況でした。そのような中で、あと2、3年ほどしたら大手も技術を確立してくるだろうけど、このタイミングであれば小さな会社でも成り上がれるだろうと確信し、判断したこともありました。あとは『最悪、自分が稼げばいいんでしょ?イケるイケる!』という謎の自信があったのも事実です(笑)」

―こうやってお話を伺っていると、学ぶことや考えることが好きではあるものの、人生を進める上では「考えるより先に、決めてから考える」という順序がずっと一貫しているなと感じます。

「そうですね。私自身の人生の教訓があるとしたら、時間をかけて決めたことで結論が大きく変わった経験があまり無く、どちらかというと『機を逸したな』と感じることが多くありました。これが良いと直感的に感じたもので、“細かい部分でデメリットがあるかも”ぐらいの状態であれば、まず物事を進めたほうが良い結論になることが多く、とりあえず自分が責任を取れる立場であれば、すぐに決断を下してしまうことが自分の性分には合っていると思いますね」

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